なんたって生活力

ちょっと行き詰ってたので、生活力(自己受容+経済力)をととのえる!音楽と食べ歩きがすきです。

生活力そのに ~わたしの強迫性障害そのいち~

こんにちは。

今日は土曜日ですね。梅雨というか雨の日は憂鬱で気分が落ち込むので、こういう晴れの日は好きです。朝起きて晴れだとわかると安心します。

一昨日からはじめたブログですが、読んでいてくれる方がいてなんだか幸せです。はてなスターというのがあるのですね。皆様ありがとうございます励みになります。わたしも「読みました、いいね!」ってときに使わせていただきます。コメントとかもお気軽にいただけたら嬉しいです。

これからも書きたいことを適当に書いていこうと思います。

 

強迫性障害とわたしの「縁起恐怖」「不完全恐怖」

 自分の悩みのひとつに、強迫性障害(OCD)というものがあります。強迫性障害というと火の元や家に鍵したかを何度も確認してしまう「確認恐怖」、あるいは何度も手を洗わざるを得ない「不潔恐怖(潔癖症)」というものが知られていますが、わたしはそれらの症状も多少ありますが、「縁起恐怖」「不完全恐怖」というのが強いです。これをしなければ、こういう自分の思う形でなければ嫌なことがおきる、不幸なことがおきる、見捨てられる、バチがあたるというようなことが気になって無意味な行動がやめられない。

たとえば病院のカウンセリングで部屋の空いている椅子に自分のバッグを置きます。けれど自分のバッグの置かれている形(位置)が気になる。別にバッグの形が崩れると か、椅子から落ちそうというわけでもないのになんか気になって全然カウンセリングに集中できなくなり意味もなく何度か形を直してしまう。生活の中でも身近なこと、たとえば机の上のコップ、麦茶のポットを置く位置、友人とだったら一緒に行ったファミレスのメニュー表の置く位置、角度。バッグと同じくその位置を変えなければそれがそこからおちたり、壊れるからという理由ではないです。また、置き位置が気になるからといって身の回りが整頓されているわけでもありません。むしろ散らかっています。

 

他にも、たとえば

■食器やお箸、ペン立ての鉛筆やメモ帳など、全く同じものでも選ぶものにこだわりがある。必ずしもそれが好きだからとか、片方が汚れているからというようなものではなく。何かの理由で選びたかったものではないものを使うとき、それが気になって(怖くなって)仕方なくなることがある。

■とても簡単な返事だけのメールや作業を、(客観的でなく、自分の思う主観的な)完璧に仕上げようとして何十回と確認してしまう。だから人より随分と時間がかかってしまう。

■うまくいかなかったりしたとき、それを(まったく関係ない)自分のあのときの行為や選択が原因だと感じてしまう。人とのトラブルや、ついてないなぁと思うことがあったとき、今日は自分の気持ちに反してあの靴下を履いてこなかったからだ、などと(←自分で書いていて笑えた)

などもあります。

 

この頃はその原因や向き合い方が少しずつわかってきたのでだいぶ落ち着きましたが、小学校から2~3年前までは自覚なくそういう症状がでていました。あまりにも当たり前すぎたので自立を考える時期になって日常に支障をきたすまではそんなに気になっていませんでした。

これらの症状の怖いところは、①、その症状が突然くること、②、気になりだすとそのことで頭が一杯になって目の前のことに集中できなくなること、③、②のため同じ作業でも人より時間がかかるときがあるということ等があります。意味ないとわかっていても不安や恐怖で気になってそうせざるを得ないというのがしんどいです。

また、話せばわかってくれる人もたくさんいると思うのですが、神経質だと思われ嫌われるのが怖いのと、感覚的なものなので人に説明するのが難しいというのもあります。一度クリニックの担当主治医には相談したことがあったのですが怪訝な顔をしただけで話を聞く感じでもなかったのでもういいかなぁと思いました。

昨日の記事でも話しましたが、結局こういうのも自分の不全感を自覚するのが怖いというか、それこそ自分の無価値感や存在感の希薄さ、分離感からくるのかなとすこし思います。自分は欠落した何かというアイデンティティがあるから、それを埋めようと何かをコントロールすることに敏感になってしまうというか。体力があまりなく今は突っ込んだことは話せませんが。

 

卑下せず、前向いてうまく付き合っていこうと思います。