なんたって生活力

ちょっと行き詰ってたので、生活力(自己受容+経済力)をととのえる!音楽と食べ歩きがすきです。

生活力そのいち ~生活力と自己受容力~

自分への無価値感と、依存心と、周囲への敵意と、復讐心

嫌われたい、孤立したい、破滅したい、自分を責めたい、終わらせたい、という望まぬ願望

人に注目されたり関心をもたれはじめると、もっと人を楽しませるようなことを書かないと、立派なことを書かないと、と思ってしまい何も書けなくなってしまうところがある。

自分に関心をもってくれることはめっちゃ嬉しいし、ありがたい。色んな会話もしたいし、心の底からつながりを感じたい。人も大好きだし本当幸せなのだけれど。

こういう認識の前提にあるのは、「どうせ人や世間はありのままの自分をわかってくれない」「そのままの自分に価値はない」「表現は危険」という、自身の無価値感、自分や他人に対する不信感だと思う。

ぶっちゃけただの自意識過剰だし、人や世間にありのままの自分をわかってほしいなんて傲慢だし、そんなんコントロールだ。価値がないわけなんて絶対ないし、本当のこといえば自分としてはおもいっきり表現したいし、別に嫌われたって自分を自分で守ればいいだけの話って思うのだけれど。

自分の無価値感なんて、聞いてる側からすれば「えぇ!?」って話だろうけど、そういう根強い感覚から「嫌われたい、破滅したい、ダメになりたい、自分を責めたい、終わらせたい」って願望が望まなくてもあって、それを実現するような行動をとってしまう(この記事ももしかしたらそうなのかもしれない。葛藤がある)。さらに嫌なのは、自分へのこういう見方って、他者や世間に対してもどこかで同じ見方をしているだろうということ。まわりに「ダメになってほしい、破滅してほしい、死んでほしい」というような(完璧にそういうのが一切ない人はいないだろうけど)。大好きなんだけど、どこかそういうところを期待してしまっているんじゃないかという。本当治したい。本当は違うのに、幸せであってほしいのに、そこがしんどい。そしてもっと嫌なのは、こうやってぶっちゃけることでどこか共感を求めているんじゃないかという人を見下した態度。書くのは自分のためなのに。アウトプットすることでどこか気づきを得たい、人と楽しくコミュニケーションとりたい、成長したい、より楽にたのしく幸せに生きたいってのはもちろんあるのだけど。

生活力をつける上で障害となっているそういう癖がある。依存心。自分は弱いっていう前提。卑下するつもりはないけど、ちょっとした甘え。7年くらい前にある人に似たようなこと話してその人は「禅問答」って言ってたなぁ。笑

いろんな自分がいるけど、生活力を整える上で自己受容力=他者受容力ってのは大きなキーワードだと思う。

大丈夫。ひとつずつ、ひとつずつ。ゆっくり育んでいきたい。